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本日あちこち更新。
7月は少々オフが忙しなくて、普賢月間がおかげさまで大盛況だったり(ありがとうございました!)
楊太チャットにお邪魔させていただいたり(お世話になりました!)とイベントには事欠かなかったはずなのに、
オタク生活を満喫した実感がありませんでした。改めて振り返るとこれだけ楽しめば十分・・・!
というわけで8月は普段の更新ペースに戻す所存。お付き合いのほどよろしくお願いします!



さてさて、本日は大好きな彼らの幸せについて本気出して考えてみた。
大体、オタクほど赤の他人の幸せを日々願っている人種もいないんじゃないでしょうか。
「○○に幸せになってほしい!」が常套句だなんて、
殺伐とした昨今では奇跡のような慈愛の精神ですよね!

ところでこの「幸せになって!」には大きく2種類ある気がします。
現状がある程度幸せであるという前提で「更に幸せになって!」という幸せ山積み型と
現状の幸せを確信できないからこその「どうにか幸せになって!」な幸せ埋立型。

よくよく考えると、この「幸せ埋立型」の方は余計なお世話の感がなきにしもあらずですよねー。
たとえば当サイト的に埋立型に該当するキャラって太公望と新スナさんなんですけど、
この二人って確実に「自分は幸せだ」と思っているじゃないですか。
幸せってきわめて主観的な問題なのに、肝心の当人たちの主観を採用しないって
一体どういうことだってばよ!と机を叩かれそうです。
でも、それでもやっぱり!「幸せと誰もが認める状態に至ってほしい」んですよ!

少なくとも師叔に関しては、
封神という作品で描かれた究極の幸せ(あるいは必要最低限の幸せ?)が
「顔の見える誰かとの絆」だったわけですから、
今までの人間関係を保留にして旅に出てしまった師叔に対して「幸せになって」と願うのは
それほど的外れじゃないかなーと思います。

新スナさんについては、そんななけなしの正当化すら思いつかないんですけどね・・・。
頑張れば材料にできそうなのは、やはり最終回のあの物悲しげな後ろ姿でしょうか。

まあなんでしょう、キャラを好きになるのも楽ではないっていう話ですよね。
そしてこんな駄文を3日もかかって書いている自分に呆れ果てますよね・・・。


足踏み期間にもたくさんの拍手をいただきありがとうございました!
大変遅くなりましたが、続きからお返事です。

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まずは恒例の宣伝から。
15日22:00から封神サーチで普賢チャットです。
お気軽にお越しいただけると嬉しいです!
今回は日曜日になりますので、どうぞご注意くださいね。

ここのところ暑い日が続きますねー。今年も辛い夏になりそうです。
この時期になると普賢さまの太極符印がほしくなりますよね!
もっとも私は稀代の科学音痴なので、普賢さまごとお出まし願わないと快適な夏は送れなそうです。

ところで以前からの疑問なのですが、太極符印に自爆機能をつけたのは一体誰だったのでしょうか。
考えられるのは
①製作者の元始天尊
②持ち主の普賢
が有力でしょうね。

どちらのパターンも十二分にありえますが、個人的には普賢説の方が一歩リードしている感じ。
その方が普賢の決意がより伝わってくるという美しい理由もありますが、
それ以上に天尊さまは余計なことをしない人のように思えるんです。
普賢が自らの命を投げ出す覚悟を決めているなら、あえて自分の手を汚すようなことはしないんじゃないかと。
しかし弟子に自爆装置を渡してしまう冷酷さも捨てがたい・・・。悩む・・・。

一応フォローしておきますが、天尊が太公望に向けた愛情は
多かれ少なかれ十二仙や他の弟子たちにも注がれていたのだと思いますよ!
ただ彼は目的のためにあらゆるものを切り捨てる非情さを持っていますよね。
だからこそ封神計画を成功させることができたわけですが。
天尊視点の「封神演義」があったらさぞかし面白いでしょうね。

普賢トークのつもりが、気付いたら天尊トークになってますね!




皆さんお忙しいでしょうに、乱文を読んでいただいたうえ拍手・感想まで・・・!本当にいつもありがとうございます!
お返事は続きからご覧ください。

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明日は封神サーチの方で「師弟チャット~BL編~」がございます。
最近告知がぎりぎりですみません!
閲覧も大歓迎ですので、お気軽に足を運んでいただけると嬉しいです!


せっかく師弟月間の告知をしたところですので、本日は太乙とナタクの話を。


私、馬元戦ですごく気になるヒトコマがあったんですよ。
馬元が現在の姿になったいきさつを呂岳が語っているシーンなのですが、
なぜか途中にヒトコマだけ無言のナタクが挟み込まれているんですよね。

このコマの必然性がよくわからなかったのですが、
もしかしたらナタクが初めて太乙の愛情を心から信じられるようになったのがこのシーンだったのかもしれない
と思うようになりました。

ナタクの一つ前のコマには馬元が出てきて、「お父さん 俺をもっともっと強くしてください!!!」と言っています。
これってナタクが太乙に日常的に使っている言葉ですよね。
ここでナタクはなお一層強く、自分を馬元に重ね合わせたと思うんですよ。
そして、同じことを望んだ弟子がこうまでも違う運命をたどることになった理由が
弟子に対する師匠の思いの差にあったことに気付いたはずです。

もちろん馬元戦まで太乙の愛情がナタクに伝わらずにいたとは思いませんよ!
しかしナタクには「人間として愛されているのか」「研究の成果として誇られているのか」
確信が持てずに揺れていた部分もあった気がするのです。
そうだとしたら、「強くなりたい」という願いに懸命に応える太乙の気持ちも
単なる「研究者としての探究心」でしかないのではないかという疑いを捨てきれずにいたかもしれません。

しかし「研究者としての探究心」のみが暴走した結果を目の当たりにすることで、
太乙の「弟子に対する愛情」を実感することができたのではないでしょうか。
今まで漠然と抱いてきた「自分を生み出した者」へのわだかまりが解けた瞬間。
だとしたら、このヒトコマはナタクの永遠を変える一瞬だったと思うのです。

・・・・・・考えすぎ?笑



拍手たくさんありがとうございます!雨続きですが、みなさん体調に気を付けてくださいね!

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