本日更新2件。「赤い月の呪い」の皆さんが真剣なので、私もガチで語ってみました。
それから素敵サイト様をリンクにお迎えしました。私の心のオアシスです。
かわいかっこいいスナフキンズに会いに行ってくださいね!
拍手から「考察メイキング」をリクしてくださった方、どうもありがとうございました!
語りは特に勢いばかり空回っていますのに、こんな風に興味を持っていただけるなんて、
すっごく嬉しいです!
ただ残念ながら、私には系統だった考察(というほどのものじゃないですが)手順がないため、
どうしても「メイキング」という形にできませんでした。
かわりに、「キャラクター解釈において心がけているポイント」を挙げてみたいと思います。
(うちの語り系はほとんどキャラ解釈ですので)
ありきたりなことばかりですが、少しでも面白いと思っていただける部分があれば幸いです。
①性質の主と従を考える
たとえば「孤独」という性質を取り上げると、
平成スナフキンにとっては「孤独である」ということ自体が重要であり、
ルパンにとっては「絶対者であること」の代償として「孤独」がある(と私は解釈している)。
このようにキャラクターの性質が「原因」なのか「結果」なのかは意識するようにしています。
②「やらなかったこと」の理由を考える
なぜ太公望は天化を宿営地近くで食い止めなかったのか。
なぜ新スナフキンはコウモリが吸血鬼でないことを証明するために自らが実験台にならなかったのか。
選ばれなかった選択肢を検討すると、その人が「選べなかった理由」が見えてくる気がします。
信念だったり、強さや弱さだったり。
③特定キャラの視点に立って原作を読み(見)返す
「そのキャラがその時点でどこまで把握していたか」「どこまで理解できていたか」ということに特に注意します。
④イメージで決めつけない
ナタクを猫かわいがりしているイメージの太乙ですが、過度のボディタッチやナタクの不在を恋しがっている描写は作中にありませんでした。
また新スナフキンが「孤独と旅を愛している」ということもアニメの中で明言されていなかったと思います。
こうしたものも派生イメージとしては楽しいですが、解釈の土台に置くとずれていってしまう気がします。
⑤全体の印象を調節する
考察となると大体、キャラクターの特定の部分をクローズアップして煮詰めることが多くなりますよね。
一部を拡大鏡で覗いていると、どうしても全体のバランスを失いがちです。
だから考察のあとは「そのキャラをぱっと見た時の印象」に立ち返るようにしています。
突っ込んで考えると重い要素がいっぱいあっても、太公望師叔の印象は明るいよね、とか。
ここは完全にフィーリングなので、好みと癖が最も出やすいところかなーという気がします。
⑥自分なりのイメージが固まるまで他の方の考察は読まない
私はすごく影響を受けやすいので、自分の見解が用意できるまでは基本的に考察・感想をパスしています。
自分のイメージができあがった後に、それを崩されるのは大好きです。ここも人それぞれでしょうね。
メイキングとはかなりずれてしまいましたが、リクエストにお応えできたでしょうか・・・?
ちなみに私はなるべく「原作から受けた印象そのまま」のキャラクター像を大事にしたいと思っています。
自分というフィルターがある以上、トリミングは確実に施されているのですが、
意図的に自分好みの改変はしていないつもり。・・・太乙さんだけは夢を乗せているかもしれないけれど(小声)
キャラクター解釈には少なからず自分自身が投影されるので、ちょっと怖くも感じますね。
拍手たくさんありがとうございました!返信不要の方も、リクエストとても楽しかったです。
お返事は続きからご覧ください。

最初に事務連絡をば。
本日2サイト様にリンクさせていただきました。
詩情あふれる素敵なサイト様です。ルパンファンの皆様、ムーミンファンの皆様、いざときめきの世界へ!
封神ファンの皆様にも恒例のご連絡を。
今週土曜はサーチの方で「BL・GLチャット」です。お気軽にお立ち寄りいただけると嬉しいです!
さて、本日は太公望と新スナフキンの「自己犠牲筆頭二人」について。
どちらのファンの方にもまどろっこしい仕様ですみません。
太公望は「封神演義」という作品に出てくるキャラクターです。
詳しいことは省きますが、この人が本当にすごい。何がすごいって、自己犠牲ぶりがすごい。
いつも他人優先で、自分のことには恐ろしいほど無頓着。
利き腕が吹き飛ぶくらいじゃ顔色一つ変えません。
みんなが笑っていてくれるのがともかく幸せ。その輪の中に自分がいなくてもいい。
与えるだけ与えて、人には何も求めない。そんな人です。
彼を好きになって10年くらい経つのですが、私の中で自己犠牲キャラランキングの首位をひた走り続けてきました。
誓って言いますが、本当に10年間一回も疑問を持つことすらなく、太公望の自己犠牲を越えるキャラはいないと信じて来たのです。
このレベルの確信が崩れる衝撃って、どう表現したらよいのでしょうか。
ちょっと思いつかなくて、長々と事実を書き連ねて来たのですが。
新スナフキンさんの自己犠牲は、正直今までに見たことのないレベルです。
太公望の時に感じた「あまりに利他的すぎて見ていて辛い」を通り越して、「厳しすぎて途方に暮れてしまう」レベルです。
新スナフキンさんは、人のことを大切にしすぎるあまり、友達が死んだ直後ですら自分の悲しみに浸ることが許せないんですよ。
泣きわめいたりせずに、「死んだ人のために祈ってやらなくちゃ」って言うんですよ。
これには驚くを通り越して呆然としました。
誰かを亡くすってこの世で最も悲しいことの一つじゃないですか。
そんな時ですら、新スナフキンさんは他人の気持ちが優先で、自分を殺してしまうんです。
あの太公望師叔だって、親しい人たちを亡くした時には泣いてくれたのに。
大体新スナフキンが自分のために何かを望んだ描写って、作中ただの一度も出てこないんですよ。
太公望さんですら自分の生きがい(=封神計画)を貫き、それなりにわがままを押し付けられる友人(=普賢)がいたのに!そのレベルの「個人の幸せ」もないって、一体どこに幸せを見出したらいいのですか!
知ってますよ。スナフキンは「自分が持つ規範に妥協せずに生きていくこと」自体が幸せなんだって・・・。
でもね、他の人に対しては正しさだけではない「感情」を人一倍尊重して掬ってやれるんですから、自分にもその寛容さを持てばいいと思うんですよ。
太公望も新スナフキンも人のためばかりという印象が強くありますが、まだ太公望の方が「自分のため」への可能性を感じられます。
そんなわけで私の中の「自己犠牲キャラランキング」の一位は太公望から新スナフキンに明け渡されたのでした。わーパチパチパチ。全然めでたくないぞ。
結局のところ、太公望は「自分のために求めることへの可能性」があることが好きで、新スナフキンは感じられないところが好きなので、それぞれの良さですね。
でも、新スナフキンのこの人物造形はあまりに逃げ場がなさ過ぎて、キャラクターとしてはどうなんだろう・・・と思わなくてもありません。私の見方が偏りすぎているのかな・・・。
※封神サイドで読んで下さった方へ
新スナフキンとは1972年制作の和製アニメに登場するスナフキンです。今もテレビでよく見る緑帽子の坊や(平成版)とは別人です。
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