先日の「太公望チャット」、無事終了しました!
参加者が一人もいなかったらどうしよう、と戦々恐々としていたのですが、予想以上にたくさんの方に来ていただけて本当に幸せでした。
当サイトのお客様のなかにも、参加&閲覧してくださった方がいるでしょうか。どうもありがとうございます!
次の土曜は太公望チャットBL編ですので、お気軽にお越しいただけると嬉しいです。(宣伝)
チャットで「桃源郷の姫昌様はなぜ若いのか」という話題が出ていたので、原作を読み返しました。
それで丸二日考えていたんですけど、あの桃源郷の人々は「損なわれていない」姿で現れるから、という理由もある気がしてきました。
ダニに寄生されたままの普賢ではなく。
酸で無残に爛れた飛虎でもなく。
ズタズタのマントに身を包んだ聞仲でもなく。
正式に出会ったあとの姫昌が太公望の目にどう映っていたかと考えると、姫昌が晩年の姿で現れなかったのも無理はない気がしてきます。
息子の死に苦しみ、自分の罪に苛まれ、生きることを放棄するように食べ物を受け付けなくなった姫昌。
姫昌本人はそれでも「私は幸せ者だ」と思うのでしょうが、師叔が心底その気持ちに共感できたか。姫昌の気持ちは理解していたとしても、それとは別に師叔個人の気持ちとして、姫昌が送らなければならなかった晩年に忸怩たる思いがあった気がします。
桃源郷が一種、師叔の逃避の意味を持っていたのなら、やはりあのシーンの姫昌は若かりし頃の姿をしていなければならなかったのでしょう。
拍手たくさんありがとうございます!
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