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「太公望月間」無事終了いたしました・・・・!みなさま、本当にありがとうございました!
企画について温かいご賛同をいただいたので、調子に乗って「月間企画」を正式発動しました。
このブログでも今後もちょいちょい宣伝をさせていただくと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。(深々)

チャットあけ恒例になりそうですが、チャットで話題にしたことをひとつ。太公望と聞仲の殴り合いの話です。
前々からぼんやりとは思っていたのですが、このシーンは聞仲さまの懐の深さを表しているんじゃないかと思えてなりません。

あの殴り合いの前に、聞仲自身の中での決着ってほとんどついていたと思うんですね。殴り合いの中でそれまでに聞仲が知っていた以上の太公望が描かれなかった以上、「太公望に人間界を譲る」と決めた契機は太公望との殴り合いじゃなくて、飛虎の封神の方だったはずです。だとしたら、聞仲に太公望への憎しみはないし、身体もぼろぼろですし、色々と吹っ切れたわけですから、勝手に一人で死んでしまうという最期だって採りえたと思うんです。

でも聞仲は最後に太公望と決着をつけました。あれは「終わるべき殷」の弔いであると同時に(もしかしたらそれ以上に)、「来るべき周」の未来のためだったんじゃないでしょうか。飛虎vs聞仲は結局のところ殷vs殷であって、自己完結でしかないんですよね。周が殷を越えていく手続きとして、太公望との決着が必要だった。

その必要性はあくまで周側の事情であったはずなのに、そこにきちんと付き合った聞仲はやはり器の大きな人なのだと思います。殷を背負ってきた者としてけじめをつけたというのが一つ。更にあの時の聞仲は周の道行きが明るいことを祈り、そのために自分ができることをしたのではないでしょうか。自分の一部のような存在を破壊していく勢力に向けたのは、敢えて子の前に「壁」として立ち塞がってみせる父の慈愛そのものだったのではないでしょうか。

殷という呪縛を解かれて残った「師叔と同じ深さで注がれる人間たちへの愛情」こそが、聞仲さまの本質だったのだと思います。泣けてきます。

・・・というようなことをチャットログで言ってました。一人占めしてないで、なるべく早くアップしなさいって。


拍手ありがとうございます!

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