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「君と愛し合うためなら心中してもいい」という感情が友情の範疇だとするならば、
恋愛とは一体いかなる物を指すのでしょうカッ!誰か教えて!
自分の価値観を試されながら、BBCラジオ版英国探偵「悪魔の足」レビューその他を更新しました。
公式が最大手という言葉の意味を噛みしめる春です。



公式が最大手というと、反射的に思い出してしまうのが聞仲様です。
しつこいようですが、この方は私を腐に引き入れた張本人!
冒頭にあげたラジオ版探偵にも勝るとも劣らない破壊力は今なお健在です。
(今のところ「公式怖い」の二大巨頭)
というか殷の双璧は本当に心中をやらかしていますしね。
もちろん聞仲に大義があったことも偽りのない事実として理解できるんですけれど、
最終的に聞仲様は「自分がやったことは全部飛虎のためだった」と悟ってしまいましたからね。
少なくとも聞仲にとっては「愛の死」だったと言っても許されるんじゃないでしょうか。
うん、聞仲も探偵みたいに「トリスタンとイゾルデ」な自分たちを妄想していそうな気がしてきた。

もっとも私が一番衝撃を受けたのは血の雨心中よりずっと前、
聞仲様が「おまえは私を裏切ったのだから!」と宣ったシーンです。
・・・え? わ た し を裏切った?殷じゃなくて?紂王でもなくて?
しかも飛虎が奥さんと妹を亡くした事実は丸無視なの?
と疑問符があまりに飛び交うので、いったん読むのを中断しましたよ!あんないいところで!
そしてその結末が腐デビューですよ!

ここで聞仲は飛虎の天秤に自分と家族を乗せて、
自分の方に傾かなかったことに激怒しているわけですよね。
黄家は円満で飛虎が家庭をおざなりにする理由は見当たらないし、
彼には家長としての責任だってあります。
ここで家族の方に傾いてしまうのは至って自然なことじゃないですか。
亡き妻と妹だけではなく、まだ幼い天祥もいるんですよ!
それでもあの局面で聞仲様が飛虎の事情を全く顧みることができないのは、
彼の中で「飛虎は自分を一番に考えてくれる」という期待があったんですよね。
期待というより、自信かもしれない。自分が選ばれることを当然だと信じている。
だからこそ飛虎の行為を「裏切り」だと、不当だと感じてしまうんですよね。

自分にとって相手が一番、は友情の一つの形だと思いますが、
相手にそれを望んでしまったら友情とは言えないんじゃないかなあ。いわんや押し付けてしまったら。
飛→聞はセーフ、聞→飛はアウトというのが個人的見解。ちなみにドドメもセーフです。
(ドドメの「自分の一番は相手だけど、相手の一番が自分は嫌!」もどうかと思うけれど・・・)


前回の署スナ記事に思わぬ反響をいただきびっくりしています!!
たくさんの拍手ありがとうございます!サイトの方からのパチも嬉しいです!

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玉乙←道のイメージは映画「無法松の一生」です。
以前にもお話しましたっけ?あちこちでお話しているので記憶が・・・(笑)
特に玉鼎が封神されたあと、二人が同じグループになったところなんて
そのものズバリの展開だと思うんですよ!
玉鼎封神に打ちひしがれながらも気丈に振る舞う太乙を
一番そばで支え守ってあげられることを道徳は少し喜んでしまうんです。
玉鼎に対して申し訳ないし、太乙が深く傷ついているのを肌で感じるし、
だいたい崑崙の存亡の危機という時に喜んでいる場合じゃないだろう!
と葛藤してしまう道徳。ほら、そのまんまじゃないですか・・・!
何から何まで(脳内設定)とつけなければならないのですが。
いつかこのあたりのお話も書いてみたいなーという願望もあります。
道徳みたいな人こそ純愛が似合うと思うの。

太乙の方は「無法松」の奥さんよろしく
向けられている思いに無自覚というのが今までの定番だったのですが、
最近は気付いたうえで一番の友達として付き合っているパターンも美味しい気がしてきました。
これもいつか書いてみたい・・・。
そしてそろそろガッツリ玉乙も書きたいですね!
玉乙サイトとしてのアイデンティティがそろそろ危ういですからね!
気が付いたら所信表明みたいな記事になってしまいました。


いつも拍手いただきありがとうございます!続きからお返事です。

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先日もろもろ更新しました。
もはや更新報告にすらなっていないブログで大変に申し訳なく。
次は頑張る・・・(またそれか)

最近は太乙トークが続いていた気がするので、今回は目先を変えて楊ぜんトークを。
楊ぜんは自分の人間的な情緒に対して自信を持てずにいる、
下手をすると匙を投げてしまっていた時期がる、
というのが私の中のデフォルト設定になっているのですが、
そうだとしたら、彼の苦悩が最も深かった時に一番そばにいた玉鼎は
楊ぜんが悩んでいることまでは察せても、
何を悩んでいるのかまでは理解できなかったに違いないと思っています。

というのは、赤ん坊の頃から育ててきた弟子に対して
その心のありようが「人間らしくない」と一瞬でも思うことはとても難しいはずなのです。
少なくとも楊ぜんに対して全肯定とも言える姿勢で接している玉鼎にとっては
ハードルが高すぎるのではないでしょうか。
そして自分が考えてもみないことというのは、
相手の中にあってもなかなか見いだせないものです。

もっとも人間性に疑義を投げかけることなんて想像だにしない人だからこそ、
楊ぜんも素直に愛されることができたのだと思います。
たとえば天化に潜む危うさを指摘できる程度にクールさを持ち合わせていた道徳だったら、
楊ぜんの安心感を損なってしまっていたのかもしれません。

そういえば楊ぜんが弟子をとることを拒んでいたことって、
彼の出生を知る人からは「崑崙に根を下ろす気がない」と疑われかねない行為だったんですよね。
うん、やっぱり玉鼎が師匠で良かった。


拍手たくさんありがとうございます!!
いただいた元気でインフルエンザも弾き返せる・・・!
皆さんもお体に気を付けてくださいね~!

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