本日更新1件。
以前ブログに書いた「太乙、普賢(+太公望)」の話に意外なご反響をいただいたので、調子に乗って語ってみました。
感想のたぐいはいつも「最低限、破綻がない文章にしないと→え?ここ論理が飛躍してない?→この説明入れなきゃ訳わかめ→長くなったよ・・・」をループしてしまいます。今回も無駄に長いです。全然学習しなくてすみません。
フジリュー版屍鬼の最新刊を読みました。最終巻なんですね。あと1巻くらい続くと思っていました。
あまり読み込んでいないので、理解できていないところが多いのですが、面白かったです。
屍鬼も封神同様、あれこれ考えながら長く読み込んで行けるタイプの作品になりそう。
もう解禁だと思いますが一応、以下ネタバレ注意です。
私が気になっていたキャラは夏野と敏夫でしたが、この二人は終盤に入って本当に影が薄くなってしまいましたね。全体の傾向として、話が進むほど心情より展開に力点が移って行った気がするのですが、この二人は前半の描写が濃厚だったためか余計に強く感じました。
特に夏野が起き上がるという部分は原作からの改変部分だと聞いていたので、どんなドラマがこの先にあるのかとちょっと期待していました。起き上がってからは特にフューチャーされていなかったので、これはラストで彼の思いが分かるイベントがあるんですね!・・・と思い込んでいたんです。
ところが結局夏野は何も語らず死んでしまいました。・・・うーん、夏野ファンの方はどう感じたんだろう。アニメの方がまだ描写があった気がする(うろ覚え)。
個人的には「夏野の物語は人狼になった時点で終わってしまった」ということなのかなーと感じました。それは何よりも夏野自身にとって。
黙々と死だけを目指した夏野を思うと、なんだかやり切れない気持ちになります。
あと尾崎先生、この先大丈夫なんでしょうかね?
よきにつけ悪しきにつけ彼を支えてきた村はなくなってしまいました。
加えて彼は、彼の大義も失ってしまったのではないでしょうか。屍鬼を狩るのは「人間を守る」という名目だったはずなのに、寺の人々が殺されるのを看過したわけですから。
寺の人々が状況を把握できていなかった可能性があることも、あのまま大川さんたちを行かせたらどういうことが起こるのかも、敏夫は理解していたはずですよね。
催眠状態の人々を殺させなかった彼が、寺の人々の死を阻止しなかったのは、静信への感情あってのことでしょう。
でも逆にこのことは敏夫の首を絞めるんじゃないかなあ。村もない。自分がやったことを正しいと信じる土台も失った。ボロボロになった敏夫を支える何かが思いつきません。
読み込み要素の多さは封神と共通ですが、読後感は真逆な感じがしました。あと小野さんのあとがきが読めるとは思っていませんでした!サプライズ!
拍手たくさんありがとうございました!!!
「恋に落ちた」は誇大広告のような気もしますが(笑)、「普通」から「好き」への転換が一番鮮烈だったのは旦です。
正直彼が登場したばかりの頃は、あまり興味がなかったんですよ。「物語で描かれない部分で活躍するタイプのキャラだし、旦が死ぬと歴史も変わっちゃうから生き残るだろうし、思い入れが生まれるようなシーンはなさそうだな~」と早合点してしまって。
「物語で描かれない」の部分はあたってしまいましたけれども、そんな出番的には恵まれないキャラクターもしっかり魅力的にするのがフジリューマジック!予想はいい方に裏切られました。
私が旦の魅力に目覚めたのは、太公望とのやりとりでのこんな一言。
「そんな父上だから・・・子供の頃は滅多にごちそうが食べられず不満でしたよ」
うまく説明できないんですけど、このセリフってすごくないですか?(全然だめな文章)
このセリフは太公望が語った若かりし頃の姫昌のエピソードに対するコメントでした。ここの太公望は珍しいことにキラッキラしていて、まるでとっておきの宝物でも披露するような感じで思い出話をしています。そんな太公望が「器が大きい」と褒めちぎった姫昌の行為を「自分は理解できなかった」と告白したんですよね。自分の器の小ささをさらけ出して姫昌に敬意を払ったところが、好きになったポイントだったんだと思います。
改めて読み返してみると、旦は非常に己をわきまえた人ですよね。逮捕された太公望の糾弾も真摯に受け止めていました(太公望の前ではそんなことをおくびにも出さないところが彼らしいのですが・笑)。
欠点も含めて自分の力量を冷静に受け止めるというのは難しいものですが、それができる旦だから上の受け答えになったのではないかと思います。
彼自身の自覚はなさそうですが、こんなところが旦の「器の大きさ」なんでしょうね。
基本的に彼には「自分へのこだわり」が感じられるシーンがほとんどありません。わたくしに利することなんて考えもつかないし、くだらない自己保身に走ることもない。国が良い方向に進んでいけばそこで自分の名前が語られなくても構わないし、必要以上の責任を感じてしまうこともない。そんな人のように感じます。
加えて旦を見ていると、出番が少ない人にも一貫したキャラクター性を感じさせてくれるフジリュー先生は本当にすごいと感動してしまいます。
拍手たくさんありがとうございました・・・!疲れが空まで吹き飛びました!