下の記事を読んで下さった方の中から、楊ぜん・次元以上に太乙への当たりが強いんじゃないか?という声が聞こえてきたような気がしますが、それは多分誤解ですよ!
原作を素直に読んだ結果があれで、私の趣味嗜好と関係がない・・・ということは全くありませんが、それなりに原作を汲んだつもりでいます。
作品をキャラクターの視線で読むのが好きなのですが、太乙の立場に立って読み返すたびに、封神が「失う」物語でしかないことに愕然とします。
封神計画では殆どみんなが何かしらを失っているんですけど、失うことで得たものもあったと思うんですよね。
師叔は「仙道のいない人間界」を、楊ぜんは「自分をさらす本当の強さ」を、天化は自己実現のきっかけを、聞仲は安らぎと平穏を、といった具合に。
でも太乙にはそれらしいものが何も見当たらないんです。
もちろんジョカから解放された世界の恩恵は彼にも及びますが、それって封神全体のお話ですよね。
パーソナルな物語として何かを得た師叔たちとは、やはり質が違うでしょう。
そもそも十二仙自体、彼らにはメリットが薄い(ように見えた)封神計画に振り回されて最も守るべき崑崙を失ってしまっているので不遇な印象が強いのですが、「失われる側」にもなれなかった太乙の辛さは頭一つ飛びぬけているように思えてなりません。
もちろん得たものが喪失の重さを変えるわけではありません。そもそも彼らが得たものは決して勝手に転がり込んできたわけではありませんから、他のキャラが恵まれていたということでもありません。
でも何かを得た経験は、喪失の意味付けを変えて前に進む努力をするうえで、有力な後押しになると思うんですよね。
そうした動機づけがなかった太乙が気持ちに区切りをつけるのは本当に大変だったのではないかと。
太乙が失う一方になってしまったのは、他のキャラと違い、彼の幸福が封神計画前に完成していたことが大きな要因だと思います。
その封神計画前の幸せ時代を書けばいいわけですから、当たりが強いのはやっぱり私の趣味嗜好ということになるのかもしれません(笑)
こんな境遇でもいつも能天気そうに笑っている太乙が心底好きなんですよねー。
とりあえず年内に幸せな太乙をアップしたいです。できたら。
拍手たくさんありがとうございます!ルパン新作の感想もそのうち・・・!
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