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百代の過客 : SS置き場
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前回は独り言に近い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました!
息苦しい文章を長々と冒頭に置いておいてすみません。そうでなくても毎日暑いのに・・・。
半月留守にしている間にも、世の中では色々と起きていますね。
普賢の理想と主張は人間と相容れないのかもしれない、とつくづく感じるこの頃です。

そんな達成不可能にも思われる普賢の理想を、師叔は部分的とはいえ実現したのではないでしょうか。
ここからは自分の理解に自信がないのですが、最終的には全仙道が神界に行くのですよね。
ということは全仙道が魂魄体として存在することになるのですよね。
で、魂魄体というのは実体がないのですよね。
ということは、仙道たちの間で殺傷が起こる可能性は限りなく低くなった、ということではないでしょうか。
もちろん楊ぜんのように魂魄への殺傷能力を持った者も少しはいるのでしょうが、高位の者に限られるでしょう。
魂魄体は地上のものと別次元の存在だというだけで、同次元の彼ら同志は触れ合うことも殴りあうこともできる、という可能性もありますが・・・。ここってどうなんでしょう?

というわけで神界では「力でもめごとを解決する」ということがそもそも不可能なのかな、と思ったのです。
だとしたら、とことんまで話し合うしかなくなるわけですよね。
これって普賢の思想がそのまま形になった世界と言えるのではないでしょうか。
封神計画に殉じた普賢に(結果的とはいえ)こんな風に報いる師叔だから、普賢も「望ちゃんのために」という決意を抱いたのだろうな、と妙に納得してしまいました。

という話をずっとしたかったんですよね・・・!
お待ち下さった方には、本当に申し訳ありませんでした・・・。



拍手ありがとうございました!返信は続きからご覧下さい。


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一昨日に封神を1件更新しました。毎度の無言更新ですみません・・・!

この通りこちらの更新が不定期なので、最近は告知をしていなかったのですが、サーチの方では相変わらず月間企画のチャットを開催しております。土曜日も色物チャットで盛り上がってきたばかり。太乙まみれのチャットで楽しかった・・・!チャットに足を運んでくださる皆様、いつも本当にありがとうございます!土曜日いらっしゃらなかった方も、ログがあがっていますので、太乙天国を味わっていただければ嬉しいです。

そのチャットの中で一瞬だけ「太乙ってへらへらしているように見えて根暗っぽいよね」という話題が出たのですが、こういう太乙観って結構広く流布しているんだなーと改めて実感しました。いまさら主張するまでもなく、私もそのど真ん中に陣取っています!全般的には陽性の描かれ方をしているキャラクターだと思うのですが、特に太乙ファンの間で彼に影を投影する傾向が根強いですよね。「好きなキャラには色々と背負わせたい」という腐女子の本能のなせるわざでしょうか。

私自身は初読途中の段階からぼんやりと「寂しそうな人だな」と感じていたのをいまだに覚えています。その感覚が確信に変わったのはある方のレビューがきっかけでした。失礼ながらどちらで拝見したのかすっかり失念してしまい正確な引用ができませんが、四聖戦で太乙が「死んで魂が封神台に閉じ込められると生まれ変わることもできないからね」と言っていたのを取り上げて、「本来は不老不死のはずの太乙が生まれ変わりを望んでいるかのような発言をするのは、彼が今の自分を好いていないせいではないか」と論じていらっしゃったはず。このレビューが今の私の太乙観を決定付けるほどの腹落ち度だったんですよ!!再燃前に読んだのでブックマークから消えてしまっているのが本当に悔やまれます。

そんなわけで根暗太乙というと私は他人の褌でここばかり引用してしまうのですが、あなたの欝太乙はどこから??と聞いて回りたいくらい出所が気になる気になる・・・。そしてこの一件がきっかけで、考えがまとまらないうちに他人様のレビューを読むと自力で考えなくなる自分の怠惰さについても学んだのでした。



拍手たくさんありがとうございますー!!遅くなりましたがお返事です。

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久々にSS置き場を更新しました。ルパン様と次元ちゃん。
せっかくタグ打ちの必要ない手軽な場所があるんだから、もっと有効利用したいですよね(他人事のように)

さてさて、ブログの方は封神語りに参りますね。
封神のラストに関して「封神された人たちが普通に勢ぞろいしていて今までの感動はなんだったのかと拍子抜けする」という評をたまに見かけます。
個人的にはあのラストが気に入っていますが、確かにそういう感想もありえますよね~。
しかし今までの感動を無に帰しかねない要素の真打といえば、ジョカが最後に放った一言でしょう!

「おぬしの仲間のあの気持ちが私に操られた結果ではなくあの者たちの内から出てきたものであってほしいと・・・おまえはそう思うのだろうな」

そうです。作中の出来事がすべてジョカの思惑通りだったとしたら。
玉鼎が楊ぜんをかばったのも、普賢が自爆という道を選んだのも、十二仙がそれに追随したのも、
すべて枕辺に立ったジョカが囁きかけた結果だったとしたら。
ジョカの暗示を認識するだけの能力値に達していなかった彼ら自身、他ならぬ自分自身の意思だと信じていたとしたら。
・・・こうした可能性がゼロになるような証拠も理屈も私には見つかりません。
だとすれば「彼らの行動選択にジョカが介在していない」というのは悪魔の証明です。

読者の作品観に対してすら深刻な打撃を与える疑惑です。
作中の人たちにとってはまさに足元が崩れていくような衝撃だったでしょう。
ですから元始があれだけ冷酷に犠牲を払ってまでジョカを排除しようとした気持ちもわかるような気がします。
本人に知られずに行動決定を操作するというのは、言ってみれば自由意思への挑戦です。
そして自由意思に挑戦するというのは、自由意思の存在を前提にして成り立っている自己や他者への信頼感に対して挑戦していることでもあります。
ジョカが期したことではないとはいえ、元始があらゆるもの事に向けていた信頼は一度粉砕されたのではないでしょうか。
だとしたら元始の執念ともいえる怒りは全くもって正当だったと思うのです。
そして自分自身や周囲に対する不信を抱きながらも、疑心暗鬼で道を誤ることなく計画を遂行した彼は、やはり傑物だなあと改めて思うわけです。

だからと言って元始のあれやこれやをすんなり受け入れられるわけでもないんですけどね・・・(笑)



拍手ありがとうございます!皆様よい連休をお過ごしくださいね。

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