久々にSS置き場を更新しました。ルパン様と次元ちゃん。
せっかくタグ打ちの必要ない手軽な場所があるんだから、もっと有効利用したいですよね(他人事のように)
さてさて、ブログの方は封神語りに参りますね。
封神のラストに関して「封神された人たちが普通に勢ぞろいしていて今までの感動はなんだったのかと拍子抜けする」という評をたまに見かけます。
個人的にはあのラストが気に入っていますが、確かにそういう感想もありえますよね~。
しかし今までの感動を無に帰しかねない要素の真打といえば、ジョカが最後に放った一言でしょう!
「おぬしの仲間のあの気持ちが私に操られた結果ではなくあの者たちの内から出てきたものであってほしいと・・・おまえはそう思うのだろうな」
そうです。作中の出来事がすべてジョカの思惑通りだったとしたら。
玉鼎が楊ぜんをかばったのも、普賢が自爆という道を選んだのも、十二仙がそれに追随したのも、
すべて枕辺に立ったジョカが囁きかけた結果だったとしたら。
ジョカの暗示を認識するだけの能力値に達していなかった彼ら自身、他ならぬ自分自身の意思だと信じていたとしたら。
・・・こうした可能性がゼロになるような証拠も理屈も私には見つかりません。
だとすれば「彼らの行動選択にジョカが介在していない」というのは悪魔の証明です。
読者の作品観に対してすら深刻な打撃を与える疑惑です。
作中の人たちにとってはまさに足元が崩れていくような衝撃だったでしょう。
ですから元始があれだけ冷酷に犠牲を払ってまでジョカを排除しようとした気持ちもわかるような気がします。
本人に知られずに行動決定を操作するというのは、言ってみれば自由意思への挑戦です。
そして自由意思に挑戦するというのは、自由意思の存在を前提にして成り立っている自己や他者への信頼感に対して挑戦していることでもあります。
ジョカが期したことではないとはいえ、元始があらゆるもの事に向けていた信頼は一度粉砕されたのではないでしょうか。
だとしたら元始の執念ともいえる怒りは全くもって正当だったと思うのです。
そして自分自身や周囲に対する不信を抱きながらも、疑心暗鬼で道を誤ることなく計画を遂行した彼は、やはり傑物だなあと改めて思うわけです。
だからと言って元始のあれやこれやをすんなり受け入れられるわけでもないんですけどね・・・(笑)
拍手ありがとうございます!皆様よい連休をお過ごしくださいね。